寝起きの頭に冷や水をぶちまけられたように、の意識は瞬時に冴えた。
「今、なんて言った?」
「何度も言わせんな。今回の取引、ガードはお前がメインだ。ブレードもママもついて来ねえから気合入れとけ」
聞き間違いであれと掛けた問いは無駄もいいところだった。ブリーフィングルームの代わりにしている広い部屋の真中で…全盛期より数は随分減ったという話だが…ほぼ全団員の目がに注がれる。息苦しさに、已む無くバレルへ真っ直ぐ視線を向けた。
「ど、どうして私が。まだメインなんて…それに、英語も満足には喋れないし」
満足にいかない処か、元々の短気に加えてまずスラングから英語を覚えていっただ。普段の会話は当たり前に口汚い。それは無論環境に起因し、教える相手も普段喋る人間も裏稼業の者なのだから当然と言ってしまえば当然のことではあるけれど。
「殆ど喋る必要はねえよ。今回の仕事もいつもと同じ、俺達に銃を向ける野郎の額にケツの穴をもう一つプレゼントしてやるだけだ。いつもはサポート、今回はメイン…その程度の違いだろ? なべて世はこともなし、だ。
「そりゃあ、そうだけど」
未だ独力で人を殺した経験がなく、しかもまだまだ年が若いことも自覚している。メインで取引のガードを任されるということ、すなわち実力を買われていることを嬉しく思わないといえば嘘になる。それも勿論本心だが、人に銃を向けるという行為への抵抗はより比重が重い。そしてなにより、自分の命も惜しい。
どう言ったものかと首を傾げると、横合いから日に焼けた逞しい腕が伸びての頭をくしゃりと撫でた。
「いいじゃねえか、行ってこいよ。どうせそうそう強いのもいないんだろ、バレル?」
「ママさん」
「ああ。よく考えてみろ、まだ人の一人も撃てねえヒヨッコに任せる仕事だぞ。たいした事ァないさ」
そもそもこの組織における人員配置は、あまりそうしたことに向かない(というよりは関心のない)幹部達やリーダーに代わって、随分長い間この男が大部分を取り仕切っている。それ故(よくある日本の会社組織でもあるまいに)長いキャリアに裏打ちされた分その目はやはり確かなのだろうと、多くの団員から信を持たれていた。無論、にも。


なら、とおずおずと顎を引いた途端に掛けられたどこか冷気を含んだ声は、意外なほど鋭くの神経を穿った。
「それに、お前もそろそろ腹をくくる頃合だ。これからもずっと組織にいるつもりならな」




「…騙したわね。日本なんて聞いてない」
「嘘はついちゃいねえさ、言わなかっただけだ。騙したは心外だな」
「なによ、いけしゃあしゃあと」
黒塗りの車の後部座席。
自分の真横で盛大に笑うバレルの頭を張り倒してみたくなったが、やめた。意味がない。
「ことが銃器の受け渡しなら、一番やりやすいに決まってんだろ」
「まあ、駐禁とスピード違反の取締りしか教わってないのがこの国の警察だからね。事なかれ主義も強いし」
「それに俺達の中で一番日本語が達者なのはお前だ、ジャパニーズ。当たり前の人選だろ?
 なんだ、もう帰りてえか」
「どっちに?」
「お前の思うほうだ」
「馬鹿馬鹿しい!」


憤然と顎を逸らすと、窓を流れる風景の中、ふんだんに含まれた馴染みの匂いに意図せず胸が詰まった。
平和の匂いだ。
この国は異世界だ。行き交う人々にとっては銃撃戦などまったくの絵空事であり、だからこそ、幾許かの金を払って安いホースオペラや海賊映画に胸をときめかせる。そこに自分達の憧れる自由があると信じて、スクリーンに夢とロマンを見る。まさかその瞬間、映画館のすぐ隣の建物で銃器の受け渡しが行われていたとしても気付かないほど暢気に。
平和が悪いこととは言わない。むしろ昔の自分もその中に浸かっていた。
けれど、今となってはそれが無性に耐え難い。自分自身最早足抜けの効かないところまではまり込んでしまったが故か、それとも。
(あんまり舐めないでほしいのに! なによあのちくちくした皮肉!)
勝手にではあっても、仲間だと思っていた彼らが一様に見せる生温い笑みか。
自分はまだ小娘だ。しかし仕事は仕事だ。決して短いとは言えない間彼らの中で揉まれて尚、故郷に帰ってきたからと気を緩めるような能無しに見えるというのか。まだまだあちらの人間に見えるとでも言いたいのか。ならば反論の余地がないくらいに自覚しているのだから、口でそうと言えばいいではないか。
(…むかつく)



望むところだ。
もしも暴れるチャンスが来たならば、その時は存分にお望みの光景を見せつけてやろう。
知らず知らずのうちにの目が剣呑に細まり、眉間に深く皺が寄る。それを横目に確認して、バレルは我が意を得たりと喉の奥で笑声を上げた。